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あふれだす

夢の話とか思った事とか、技術とあんまり関係ない事を書きます。

プロファッションニートを廃業しました

掲題の通りです。一身上の都合により昨日を以ってプロファッションニートを廃業しました。

7月末に前職の最終出社を終え、8月は有給休暇を活用してプロファッションニートの活動をしておりました。
仕事はしませんが実際には所属組織があるのでニートではないためファッションニートとなり、給与が支払われるのでプロであるためプロファッションニートとなります。

プロファッションニートとして、フィリピンのセブ島への2週間の英語短期留学、感染症の疑いによる1週間の療養、JPAのミーティング、香川うどん寺紀行の敢行などの活動をしてきました。
特筆すべき成果としては四国八十八ヶ所霊場のお砂踏み巡礼を達成したことでしょう。徳をゲットしたことでプロとしての自覚を新たにすることができました。

しかし、今後プロとしての活動が難しくなっていくこと、ファッションという域に留まらない活動になってしまうことから、この度ファッションニートを廃業するに至りました。
本日からは普通のソフトウェアエンジニアに戻ります。
皆様におかれましてはこれまでと変わらぬご指導ご鞭撻を頂けますと幸いでございます。

※真面目な退職エントリは顔本に書いたのでそちらをご参照下さい

政治とメディアに関するいくつかの考察

government

あんま頭良くないし、政治も法律もよくわからない愚民だけど政治に関する考察を少ししてみる。 固有名詞やそのモチーフは出してないつもりだけど、政治の話が不快ならスルーしてください。

民主主義というか、多数派を重視する国民性だと、たとえ致命的に間違っている意見だとしても多くの賛同を得た意見が強いし、良い政策が打てる政治家かどうかよりも愚民を上手く扇動できる政治家かどうかのほうがよっぽど影響力が高いと思ってる。

他の国のことは知らないけど、日本の場合、(個人的な印象だけど)多数派に寄ったメディアがとても多い気がしている。 特にテレビは広告収入に大きく依存しているからその傾向が顕著なのだと思う。 インターネットにおいても、インターネット上のメディアがSNSで拡散されるというのが一般的な情報の流れ方だけど、SNSも仕組み上は多数派が目立ちやすい仕組みになっていると思う。

メディアは編集において特定の意見を目立たせたりすることが可能なので、メディアをコントロールできると多数派をコントロールできるといっても過言ではない。 テレビとインターネットだけ抜き出してみたときの違いとして、テレビは編集で意見を扇動しやすいことに対して、インターネットだとSNSなどで誰でも自由に感想を発信できることから少数派が多数派にひっくり返ることもあり、編集の力は比較的弱いように思う。 やはり能動的に多様な意見やその根拠となる情報を集められないと良し悪しは見極められない。

メディアの力が強いと、株は誰でも買えるわけだし、支援団体とかを中継するとお金の流れは見えにくくできるし、見え難いところで政治家や政治団体との癒着が起きても何ら不思議ではないように思える。 特に民営メディアは自らが収益を立てていかないと生き延びられないので、大金が入るツテがあればどうしてもそこに依存せざるを得ないだろう。 メディアと政治の繋がりは強くなりがちだと思う。

多数派を重視する国民性が強く、かつメディアの影響力が強く、かつメディアと政治のつながりが強くいと、国として脆弱になりがちなんじゃないかなーと思うなどした。 たとえば、他国の政治団体と関連が強い組織が、日本の特定の政治団体とメディアにお金を流してある程度の政治の方向性と世論をコントロールするというシナリオは大いにあり得るように思える。(もちろん、そこまでするメリットが本当にあればの話だけど。) かといって、どれもまだ問題の本質ではないような気がしていて、根が深いなーと思うなど。政治も法律も詳しくないから仕方ないのかもしれない。 あるいは、やはりある程度強い権限を持った独裁的なリーダーに従うのが手っ取り早く安定するのではないかとも思う。

インターネットが強くなっていってメディアの在り方が変わると、政治も大きく変わっていきそうだ。

格好良くなりたい

自信が無い。容姿の話じゃない。容姿はともかく。
物の見方や考え方が中途半端で不安定で、そんな自分につい嫌気が差すのだ。 そして、対照的に芯のしっかりした人がとても格好良く見える。

物の見方については、いろんな見方をする訓練を自主的にしてきたつもりだ。特に自分はもともと近視眼的になりがちなので、俯瞰的に物事を見る能力を伸ばしてきた。 ところが、特に最近は近視眼的過ぎたり俯瞰的過ぎたり、ものに合った見方を出来ている気がしないのだ。例えるなら、遠くを見るために虫めがねを使い、近くを見るために双眼鏡を使うような、そこまで大袈裟な間違いでは無いが、そんなちぐはぐさを自分に感じることがある。 俯瞰的になりすぎてよく分からなくなることもあれば、近視眼的になりすぎて大切なことを見落とすこともある。 そういう間違いは誰にでもあるだろうし、自分も例外だとは思っていない。極めて普通の間違いだと思う。 ただ、判断を下すのが、怖い。 そして、そんな自分に自信が持てないのだ。

その不安からか、あれこれと物の見方を変えて考えてみるが、情報をうまく整理できないとうまく考えることができない。 物の見方が不安定だと考え方も自ずと不安定になる。

考えが不安的だと結論がころころ変わるのだ。

特に曖昧な、正解の無い悩みが社会には多いが、そういうものには色々な見方からそれぞれ答えが出せる。じゃあ、そのそれぞれの答えを参考に自分にとっての正解はなにかを問う。それをさっと出すためには自身の価値観を理解していなければならない。あるいは、もっと素直な性格だったら、直感的にこれだと思うものを答えにすればよいのだろう。素直な人はとても尊敬する。あと、全然関係無いが素直な人の笑顔は素敵なことが多いように思う。かわいい。

閑話休題

これは、難しい決断を難しいと感じているというただ当たり前のことなのかもしれない。 だけど、もっとうまくできるんじゃないかともどかしくなるのだ。

さっき、伊坂幸太郎の砂漠という小説を読んでいたのだが、この作品に登場する西嶋という青年がひどく格好悪いんだけど、とても真っ直ぐで姿勢がとても格好良くと思った。 ぼくも彼くらい真っ直ぐな行動が出来るようになりたいと思った。そしたらきっと少しは格好良くなれるんじゃないか。

こうして蒸し暑さからくる寝苦しさを誤魔化していたところ。今日も午前二時を回りそうだ。