あふれだす

夢の話とか思った事とか、技術とあんまり関係ない事を書く。情緒不安定なタイミングで駄文を書き捨てることもある。

あじさい

もう1年近く経つんだけど、あじさいという曲を書きました。

デモCDとしてライブ会場で配布していたものより少し音質悪いけど、同じものです。

よかったら聴いてみてね。

蛇足

最初の雨音にはこれを使わせてもらいました。

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雑談と連想

この増田を読んで考えたことのメモ https://anond.hatelabo.jp/20171004125348

言葉を聞き取るのって母国語だろうが割と脳のリソースを持っていかれる気がしてて、 さらに雑談はテンポが速いから理解した頃には次の話題に移ってて喋るタイミングを逃していることが多い。

酒に酔ったり、緊張していると、言葉の理解が雑になりまさに増田のAさんみたいな感じになることが多い。

なんでそんなに脳のリソースを持っていかれるのだろうかと書いてて気付いたのだけれど、ぼくにはどうやら連想を始めたら止まらなくなる癖のようなものがあるようだ。 聴いたそばから微妙に関係ないものを次々と連想して脳のバッファをどんどん食いつぶしていって肝心の本題がスワップアウトしてるんだと考えると辻褄が合う場面が沢山あることに気付いた。

プログラミングをしてると連想が必要になる場面が多い。 プログラミングで解決したい問題の多くはいろんな解決方法があり、ある問題を多角的な視点で見るには問題の対象に対する抽象的な連想が有効なので、しばしばそういう思考をする。

で、その癖が会話にも出てしまっているということなのだろう。不器用か! いや、そういう思考の志向を柔軟に切り替えられる人がいわゆる頭の柔らかい人なんだろうな。

逆に、なんかプログラミングが苦手って人の気持ちがよくわかった気がする。 日常茶飯事のように連想的な思考をしていなければ、意識的に切り替えないとうまくそういう思考は出来ないよね。 で、意識的に切り替えても慣れてないとうまく思考できないと。

そして、問題解決が得意なひとはプログラミングも出来ることが多いのも多分そういうことなのではないだろうか。 理系の、特に数学系はそういった素養が要求されることが多い気がするから、できるプログラマが数学系の人に多いのはそういうことなのかもしれない。

これらは、あくまでも仮説の域をでないものだけども。

どんどん連想する幅優先探索的な思考じゃなくて、どんどん深掘りする深さ優先探索的な思考力が弱いというのは、たしかに自覚がある。 実際この記事も横に広がってまとまってないねー。眠いのもあるけど。

昔、当時の上司に言われた「君はもっと他人に興味を持ったほうが良い」というアドバイスを思い出した。 あれはきっと、深さ優先探索しなよってことだったんだな。腑に落ちた。

初夏

あじさいという曲をこのあいだ書いたんだけど、あじさいというとなぜかピンポイントに6月というイメージがある。 6月は終わってしまって7月に入り、暑さも増してゆくなかでそれは案外的を得たイメージなのかもしれないとふと思った。 梅雨明けはまだだろうが、初夏から盛夏へと少しづつ変わってゆく空気を感じる。 暑苦しさが眠りを妨げて眠れないので、ちょっとその曲のことを書いてみることにした。

この曲はいつ書いたのだっけかと見返してみれば4月18日とあった。 この間のことのようなのに、もうずいぶん経ってしまっていたようだ。

ふとした空想の中でこの曲は生まれた。ふっと世界が降ってきた。

モチーフとなった空想のなかでは、夢の中で起こった素敵な出来事に胸が踊り。 夢から覚めても、あじさいの花に当たる雨粒すら感情を持って元気に飛び跳ねているように感じてしまうほど純粋な幸福感が尾を引いている。 そんな、言葉通りすぎるほどに夢見がちな若い女性の物語がこの曲の詩だ。

この子は全てを語らない。 素敵な夢の中のあまりにも大きい幸福感と、成人しているというのに年甲斐なくそんな幸福感に現実が歪んで見える自分の幼さに対する葛藤があるからだ。 現実と向き合わなければという気持ちと、現実から逃げたい気持ちと折り合いがつかず、梅雨の空のように不安定な気持ちが自分を弱らせ、弱った自分は夢の中に逃げ場を見出して、どうしようもなく幸せな夢を見てしまう自分に呆れつつも、どうしようもなく幸せを感じてしまう。不安定な精神。 不安定な空。

しかし、得てして人間とは不完全なものだと思う。 精神も成熟度の違いこそあれど基本的に不完全で不安定なのだと思う。

安定したメンタルなど実は誰も持っていなくて、取り繕うのが上手い人と下手な人がいるだけなのではないか。表に出す人と隠す人がいるだけなのではないか。不安定な時期と安定する時期があるだけなのではないか。

不安定さを受け入れて生きるとすれば、どうすればいいのだろうか。 論理に委ねるもよいだろう。しかし、感情にマーシャルアンプを噛ませてがっつり歪ませたような感情に全てを委ねてみるのも面白いのではないだろうか。フランジャーを掛けてみてもいいかもしれない。 人間はもっと自由でいいはずだ。

ぼくはそういう人間の不安定さが愛おしいと思うし、不安定さとの葛藤とかそういうものをこの曲では表現したかったのだと思う。

この曲は終始幸せな感情に踊らされたまま終わる。 しかし、その幸福感の裏には隠れた葛藤とそれがもたらす不安定さがたしかにあるのだ。

そこまで繊細に表現できるほどぼくやぼくたちは成熟していないけれど、未熟さや不安定さが結果的に表現にスパイスを産むのがロック的な音楽の醍醐味でもあると思う。良いと思うまでやればきっと良いものになるのだ。 ポップでワルツチックな曲調だけど、そういうロックのやりかたをぼくはやっている。 そういうやり方は忘れずにいきたい。

と、適当にそれっぽい文章を書いていたら眠くなってきたので寝ることにする。 どこがほんとで、どこがてきとうかは、ひみつ。

でも、ちょっとでも興味を持ってくれたのなら、お願いです。 9/23(月/祝)に池袋Admでぼくたちモンズリーズがライブするから、できたら予定をあけておいてほしい。 あと、よかったらきてほしい。

おやすみなさい。