感情の行方
人や社会と関わるとどうしても感情が生まれる。
高専時代は感情の行く先はカラオケだった。大声でパンクロックを叫んだ。 日常的に感情を友達とぶつけ合っても話が下手で友達が少なかったから大声でパンクロックを叫んだ。 カラオケは月に2000円の小遣いだと全額使ってやっと2時間入れるくらいだから、金が無いときは学校をサボって人の居ない学寮でギターを弾いて大声で歌っていた。 出席日数が足りず、成績も問題になり、やがて寮を追い出された。
退学して高認を取って進学した。実家に戻ってインターネット環境が改善した。 進学後はカラオケには一緒に行ってくれる人があまりいなくて、行ってくれてもパンクロックを大声で歌うと苦い顔をされるので、綺麗にJ-POPを歌っていた。 やがてカラオケにはこっそり1人で行くようになった。
Twitterを始めた。2chと違ってIP規制とかないし変な課金システムもなくて無料で無限に感情を投げることができて便利だった。 学生会みたいなのが機能してなかったのを良いことに乗っ取っていろんな行事をやって感情を発散したが、やっぱり人と関わるので感情が生まれた。 やがて酒を覚えて飲みの場で感情を発散することを覚えた。
仕事が始まってもやっぱり同じで、Twitterとカラオケと酒に感情を発散しながら仕事していた。 あるとき、とある人が入社してきてその人のもとで働いたところ酷い仕事になった。 大音量の目覚ましで無理矢理起きて定時出勤して、終電が無くなっても働いて、タクシーに乗る金が無いので30分から1時間かけて歩いて帰って、そういう日々を何ヶ月も繰り返して新しいプロダクトをリリースした。売れなかった。 リリースしてもペースが変わらず、遅刻しがちになる。だんだん遅刻に対する罰則が厳しくなってきた。Twitterに感情を垂れ流したら別のお偉いさんに呼び出されてめんどくさいことを言われた。 発散しようのない感情の行き場は無いので、感情を抑えることを覚えた。酒を飲む量も増えた。やがてその上司は辞めた。
だんだん仕事に対する情熱も薄れてきて、世界中で使われるようなプロダクトを作りたかったはずが、ただ金を稼ぐためにコードを書く日々に変わってきた。 プロダクトのエンジニアをやってるとプロダクトの改善へのコミットを求められる。プロダクトの質が低ければエンジニアリングなんて二の次だ。ぼくはエンジニアリングが好きだった。 会社でリスペクトしていた先輩やISUCONの影響もあり、インフラストラクチャに強く興味が向いた。インフラストラクチャはプロダクトと近すぎない関係で済む。 だけど、何度リクエストしてもインフラストラクチャをやる部門には異動させてもらえなかった。現状維持ベースで運用するぶんには人が足りていたからだ。 ISUCONみたいにアグレッシブなことはやらないのは分かっていたので興味がなくなった。リクエストが通らない事がわかってきたので転職を考えてると伝えたら突然異動になった。感情が暴れて心が傷ついた。 自動化をする仕事を少しだけして、やがて転職した。振り返ってみれば、仲の良い人もたくさんできたし、リスペクトできる同僚にもたくさん恵まれた、良い職場だった。
転職してからはプラットフォーム開発をやっている。プラットフォームもエンドユーザーの目当てになるプロダクトと近すぎない関係で済むのが気に入っている。いわば黒子だ。 ISUCONみたいにアグレッシブなこともときどきやる。どうしても必要になる場面があるからだ。大好きなPerlも書ける。満員電車を避けて座って乗れる電車で出退勤できる。
そんな中で長らく休止していたモンズリーズのバンド活動が本格的に再開して久しぶりにステージに立った。今度こそみんな本気だった。 開き直れる場が自分に戻ってきた。ステージで暴れるだけ暴れた。新曲も作った。
そういったことがあって最近だんだん感情が戻ってきた。 辛い気持ちも嬉しい気持ちもだんだん自覚的になってきたし、だんだん感情を抑えずに素直に受け入れられるようになってきた。頭も以前より回るようになってきた気がする。 自分には感情の行き先が必要なんだって気付いた。
むかしあった感情の行き場をもう一度使おうと、カラオケに行くことにした。モンズリーズでやらないような曲も自由に作るようにするようにした。 もっと素直になれるように感情の行き場をもっと積極的に作っていこうと思う。
あじさい
もう1年近く経つんだけど、あじさいという曲を書きました。
デモCDとしてライブ会場で配布していたものより少し音質悪いけど、同じものです。
よかったら聴いてみてね。
蛇足
最初の雨音にはこれを使わせてもらいました。
雑談と連想
この増田を読んで考えたことのメモ https://anond.hatelabo.jp/20171004125348
言葉を聞き取るのって母国語だろうが割と脳のリソースを持っていかれる気がしてて、 さらに雑談はテンポが速いから理解した頃には次の話題に移ってて喋るタイミングを逃していることが多い。
酒に酔ったり、緊張していると、言葉の理解が雑になりまさに増田のAさんみたいな感じになることが多い。
なんでそんなに脳のリソースを持っていかれるのだろうかと書いてて気付いたのだけれど、ぼくにはどうやら連想を始めたら止まらなくなる癖のようなものがあるようだ。 聴いたそばから微妙に関係ないものを次々と連想して脳のバッファをどんどん食いつぶしていって肝心の本題がスワップアウトしてるんだと考えると辻褄が合う場面が沢山あることに気付いた。
プログラミングをしてると連想が必要になる場面が多い。 プログラミングで解決したい問題の多くはいろんな解決方法があり、ある問題を多角的な視点で見るには問題の対象に対する抽象的な連想が有効なので、しばしばそういう思考をする。
で、その癖が会話にも出てしまっているということなのだろう。不器用か! いや、そういう思考の志向を柔軟に切り替えられる人がいわゆる頭の柔らかい人なんだろうな。
逆に、なんかプログラミングが苦手って人の気持ちがよくわかった気がする。 日常茶飯事のように連想的な思考をしていなければ、意識的に切り替えないとうまくそういう思考は出来ないよね。 で、意識的に切り替えても慣れてないとうまく思考できないと。
そして、問題解決が得意なひとはプログラミングも出来ることが多いのも多分そういうことなのではないだろうか。 理系の、特に数学系はそういった素養が要求されることが多い気がするから、できるプログラマが数学系の人に多いのはそういうことなのかもしれない。
これらは、あくまでも仮説の域をでないものだけども。
どんどん連想する幅優先探索的な思考じゃなくて、どんどん深掘りする深さ優先探索的な思考力が弱いというのは、たしかに自覚がある。 実際この記事も横に広がってまとまってないねー。眠いのもあるけど。
昔、当時の上司に言われた「君はもっと他人に興味を持ったほうが良い」というアドバイスを思い出した。 あれはきっと、深さ優先探索しなよってことだったんだな。腑に落ちた。